2019年11月22日金曜日

癌になっていると分かった後の気持ち

少し時系列的に戻って、癌と診断されたときの気持ちを思い出してみる。
とにかく当時としては、確信はなかったけどなんとなくヤバイ気はしていた。 それぐらいの痛みだった。 ただ、絶対に終わらさないとまずい仕事があったことと、どう考えても癌と診断された後でモチベーションを維持して仕事が終わるまで続けることができないことはなんとなく感じていた。 多分、小さな会社で主力だから途中で離脱していたら潰れていただろう。 仕事がひと段落してからの病院での検査だった。 レントゲンで大腸を見たとき、医者の意見としては経験上ほぼ癌だろうという判断だった。 言われたときの気持ちとしては、やはりと大変なことになってしまったという事だけ。 意外と死への恐怖というのは感じなかった。

その後、大腸内視鏡カメラの検査だった。 カメラを入れるも、S字結腸がほとんど塞がりかかっていて、カメラを通すこともできず、組織をなんとか掴みとることができる程度だった。 その後に癌と診断され、まず困ったのは親になんと言おうかという事だった。

病院に行く前に実家に帰っていて、親は酷く痛みを感じてうずくまっていたのを見ていたし、元看護師であったこともあって、多分予想はしていただろう。 ただ言葉として伝えるのはそれなりに勇気がいった。 年齢的にもかなり高齢になるのでできる事なら負担はかけたくはなかった。 親より先に死ぬのも、親の老後の資金に負担をかけるのも、どちらも辛い。

ただ、家族がいるので何もせずに死を選ぶという選択肢は初めからない。 若い頃は自分が死んでもたいして世の中に影響は無いと考えがちだが、ある程度の年齢を重ねると例え若くても誰にも迷惑をかけずに死ぬことは、どんな死に方を選ぼうと不可能だということがわかる。 不可避な迷惑は別として、できる限り人に迷惑をかけない人でありたいと個人的には思っている。自分のために生きるというより、人のために生きると考える方がモチベーション的にも命の価値としても意味があると考える。 とにかく、なってしまったのは仕方がない。 後悔しても時間を戻せるわけではない。 やらなければいけないタスクができれば、それを一つずつこなしていくだけだ。

ただ、どうにもならなかったときの為の準備だけはしておかなければいけない。 ただ自分が死んだ時の為の準備というのは、今から戦おうとしている気持ちからすると反対方向の行動なので、それなりにブレーキがかかってしまう。 とりあえず、お金やパソコンやスマホの情報を引き出せなくなると困るだろうから、その辺りの確認はしてもらうようにはした。

自分の場合、大腸が完全に詰まる寸前だったので色々と入院までの待ちの時間が少なかったのがよかったかもしれない。 宙ぶらりんの状態が長ければ長いほど心へのダメージは大きくなるだろうと想像はできる。

入院して治療方針が決まれば、否応なくステップは進んでいく。 まずは大腸の詰まりをとる事が先決だった。

結果としては、入院をしてから大腸の浮腫が引くのを待つ時間は長くなったのでネットで色々と調べる時間はあった。 ただ、個人的に宗教に興味はなく、不確かな民間療法には懐疑的な意見を持っているし、下手をするとエビデンスのある治療法の妨げになりかねないと思っているので、公式と思えるような情報だけを見ることにしていた。 そのおかげで、あまり頭でっかちになる事はなかったと思う。

5年生存率や抗癌剤の効果率など確率ばかりが目に付く。 治療する側には、どの治療法を選ぶか、どの薬を選択するかなど意味のあるデータだが、患者個人からしたら生きれるか死ぬか、効くか効かないかのどちらかでしかない。 はっきり言ってしまえば、天気予報と同じで心構えをする為の情報にしかならない。

周りも含め心が弱くなっている時なので仕方がない部分があるかもしれないが、一つ言える事は本人よりも過剰に配偶者や親が取り乱したり、何かをしようとしたり、勧めたり、あの時ああしていれば・・・と時間を遡ろうとしたりしてはいけないという事。 患者はそれだけでパニックになるし、自らを咎めるようになる。

治療を始めて思う事はある程度先のための備えは必要だが、とりあえず目の前の目標を一つ一つこなして、その結果にたいして次の方法を考えるというのが一番いいと思う。

決定していない未来を一喜一憂して憂いても仕方がない。 観測できて初めて未来は確定され現実となる。