便潜血で陽性判定になっても精密検査に行かない人の理由は
1位 痔だと思った
2位 時間がないから
3位 ガンだとわかったら怖いから
だった。
でも、実際の理由は「ガンだとわかったら怖いから」の一つだと思う。
もし、ガンですよと断定されたら「時間がないから」を理由として言う人は、ほぼいないだろう。
「痔だと思った」もその言葉の裏は「痔だと思いたい」だ。 普通に年を重ねている人なら知り合いの中に早期であっても大腸ガンになったと言う話を聞いたことがない人はいないだろう。 ガンの可能性が頭を一度もよぎらない人がいるとは思えない。 正常性バイアスとはそう言うものだと思う。
便潜血が陽性の場合、痔の血を拾う可能性はかなり低いという説明だった。
精密検査を受けてもらうと電話で説得していることも紹介していたが、なかなか応じてもらえないということも説明していた。
本当に精密検査を受けてもらおうというのだったら、健康診断の結果の用紙に「要精密検査」という言葉だけでなく、
「陽性の結果が出た場合、大腸ガンの可能性が〇〇パーセント、良性腫瘍(ポリープ)の可能性が〇〇パーセント、潰瘍性大腸炎などの重大な疾病の可能性があります。 痔(切れ痔)などで陽性反応が出る可能性は◯パーセントです。 精密検査を受けて下さい。」
というように具体的な病名を多数書くことはできないのだろうか。
脅すような事になるかもしれないが、それぐらい言われたら自分も多分再検査に行っていたと思う。
災害の時の避難でもそうだが、正常化バイアスとは恐ろしいものだ。 でも、それがあるから心の病気にならないで済んでいるところもあるのだろう。 でなければ、ガンになったら即自殺という人で溢れかえるだろう。 家族だって保たないかもしれない。
2017年末に腸が詰まる寸前でS字結腸大腸癌ステージ4と診断され、とりあえず丸2年経った。 幸運にも抗がん剤が比較的よく効いたので、手術も順調にいき、現在も生きている。 まだ、腫瘍は残っているが、自分の体験を記録的に残そうと思う。 参考になるような事が書けるかどうかは分からないけど、だれかのためになればと思う。 ここまで来るまでに、お世話になった人達に感謝します。 特に家族と両親に。
2020年2月1日土曜日
2019年12月1日日曜日
大腸癌になって、宗教を民間療法をどうする?
私は特別信仰心はない。 だけど、お参りをしないかと言うとするし、神様の存在そのものを絶対にないとか言うつもりもない。 人の信仰心を否定する気もない。 必要な人には必要なのだろうと考える。
癌になると、必ずといっていいほど宗教関連の話は出てくる。 自分でも、神社に賽銭を入れて手を合わせる程度の事はした。 家族は同じく宗教には特別興味はないが、親戚となると、それなりにいたりする。
私のことを思ってお願いしてくれること自体には感謝するけど、自分がその宗教に入ってまで助けを求めようとは思わなかった。
あくまでも自分の宗教観だが、よく聞く「信じるものは救われる」的な話には懐疑的だ。
神様が存在するとして、信仰心を対価として救いを与えると考えるとしっくりこない。
もし、神様が慈悲のある存在だったとしても、私の思う神様は「なんとなく気が向いたら、幸運の確率を少し上げてくれる」程度しか俗世には干渉しないぐらいに思っている。
だから、化学療法をしている時に体力の減衰をなるべく抑えるために近所を散歩し、ついでに近所の神社にお参りはしたが、手を合わせながら考えた事は「助けてくれている家族や親や近しい人に対する感謝と、これから何とか頑張ります。」と言う宣言に近いものにした。 あとは「気が向いたらいいので、幸運を振り分けてくれたら嬉しいです」程度に思っていた。
後、宗教とは少し離れるが、瞑想というかマインドフルネスはしていた。 というか、マインドフルネスという言葉を聞きはしめる前から、なんとなくそういう無心状態にして、外界の気配だけを感じるような事はしていた。 これは、精神の安定にはいい事だと思う。 不安やストレスが治療に良いわけはないので。
そして、宗教と同じように出てくるのは民間療法だ。
これについても、あまり気は乗らない。 何かを積極的に食べるや食べないとか、色々あるが、良い効果があるものだと言われても、効果が出るほどのものなら化学療法の効果の邪魔になる可能性も十分にあると考える。 逆に化学療法に影響ないのなら、そもそも意味がないぐらい効果がないとも思う。
癌は糖を栄養とするから糖を摂らない方がいいというような話も聞いたが、はっきり言って何かを食べる食べないとか言っていられないほど食欲が減衰した。 口の中に口内炎ができるし、舌はドライマウスになってひび割れる。生きていく気があるのなら食べられるものがあったら何でも食べた方が良いというような状態だ。 動けないのと、たんぱく質を摂るのが減るので筋肉がどんどん弱っていく。
要は、過酷な治療になれば、ごちゃごちゃ考えている余裕は全くない。 食べられるものがあれば食べる。 食べることは生きることだと、何かで聞いたセリフはその通りだと思う。
癌になると、必ずといっていいほど宗教関連の話は出てくる。 自分でも、神社に賽銭を入れて手を合わせる程度の事はした。 家族は同じく宗教には特別興味はないが、親戚となると、それなりにいたりする。
私のことを思ってお願いしてくれること自体には感謝するけど、自分がその宗教に入ってまで助けを求めようとは思わなかった。
あくまでも自分の宗教観だが、よく聞く「信じるものは救われる」的な話には懐疑的だ。
神様が存在するとして、信仰心を対価として救いを与えると考えるとしっくりこない。
もし、神様が慈悲のある存在だったとしても、私の思う神様は「なんとなく気が向いたら、幸運の確率を少し上げてくれる」程度しか俗世には干渉しないぐらいに思っている。
だから、化学療法をしている時に体力の減衰をなるべく抑えるために近所を散歩し、ついでに近所の神社にお参りはしたが、手を合わせながら考えた事は「助けてくれている家族や親や近しい人に対する感謝と、これから何とか頑張ります。」と言う宣言に近いものにした。 あとは「気が向いたらいいので、幸運を振り分けてくれたら嬉しいです」程度に思っていた。
後、宗教とは少し離れるが、瞑想というかマインドフルネスはしていた。 というか、マインドフルネスという言葉を聞きはしめる前から、なんとなくそういう無心状態にして、外界の気配だけを感じるような事はしていた。 これは、精神の安定にはいい事だと思う。 不安やストレスが治療に良いわけはないので。
そして、宗教と同じように出てくるのは民間療法だ。
これについても、あまり気は乗らない。 何かを積極的に食べるや食べないとか、色々あるが、良い効果があるものだと言われても、効果が出るほどのものなら化学療法の効果の邪魔になる可能性も十分にあると考える。 逆に化学療法に影響ないのなら、そもそも意味がないぐらい効果がないとも思う。
癌は糖を栄養とするから糖を摂らない方がいいというような話も聞いたが、はっきり言って何かを食べる食べないとか言っていられないほど食欲が減衰した。 口の中に口内炎ができるし、舌はドライマウスになってひび割れる。生きていく気があるのなら食べられるものがあったら何でも食べた方が良いというような状態だ。 動けないのと、たんぱく質を摂るのが減るので筋肉がどんどん弱っていく。
要は、過酷な治療になれば、ごちゃごちゃ考えている余裕は全くない。 食べられるものがあれば食べる。 食べることは生きることだと、何かで聞いたセリフはその通りだと思う。
2019年11月22日金曜日
癌になっていると分かった後の気持ち
少し時系列的に戻って、癌と診断されたときの気持ちを思い出してみる。
とにかく当時としては、確信はなかったけどなんとなくヤバイ気はしていた。 それぐらいの痛みだった。 ただ、絶対に終わらさないとまずい仕事があったことと、どう考えても癌と診断された後でモチベーションを維持して仕事が終わるまで続けることができないことはなんとなく感じていた。 多分、小さな会社で主力だから途中で離脱していたら潰れていただろう。 仕事がひと段落してからの病院での検査だった。 レントゲンで大腸を見たとき、医者の意見としては経験上ほぼ癌だろうという判断だった。 言われたときの気持ちとしては、やはりと大変なことになってしまったという事だけ。 意外と死への恐怖というのは感じなかった。
その後、大腸内視鏡カメラの検査だった。 カメラを入れるも、S字結腸がほとんど塞がりかかっていて、カメラを通すこともできず、組織をなんとか掴みとることができる程度だった。 その後に癌と診断され、まず困ったのは親になんと言おうかという事だった。
病院に行く前に実家に帰っていて、親は酷く痛みを感じてうずくまっていたのを見ていたし、元看護師であったこともあって、多分予想はしていただろう。 ただ言葉として伝えるのはそれなりに勇気がいった。 年齢的にもかなり高齢になるのでできる事なら負担はかけたくはなかった。 親より先に死ぬのも、親の老後の資金に負担をかけるのも、どちらも辛い。
ただ、家族がいるので何もせずに死を選ぶという選択肢は初めからない。 若い頃は自分が死んでもたいして世の中に影響は無いと考えがちだが、ある程度の年齢を重ねると例え若くても誰にも迷惑をかけずに死ぬことは、どんな死に方を選ぼうと不可能だということがわかる。 不可避な迷惑は別として、できる限り人に迷惑をかけない人でありたいと個人的には思っている。自分のために生きるというより、人のために生きると考える方がモチベーション的にも命の価値としても意味があると考える。 とにかく、なってしまったのは仕方がない。 後悔しても時間を戻せるわけではない。 やらなければいけないタスクができれば、それを一つずつこなしていくだけだ。
ただ、どうにもならなかったときの為の準備だけはしておかなければいけない。 ただ自分が死んだ時の為の準備というのは、今から戦おうとしている気持ちからすると反対方向の行動なので、それなりにブレーキがかかってしまう。 とりあえず、お金やパソコンやスマホの情報を引き出せなくなると困るだろうから、その辺りの確認はしてもらうようにはした。
自分の場合、大腸が完全に詰まる寸前だったので色々と入院までの待ちの時間が少なかったのがよかったかもしれない。 宙ぶらりんの状態が長ければ長いほど心へのダメージは大きくなるだろうと想像はできる。
入院して治療方針が決まれば、否応なくステップは進んでいく。 まずは大腸の詰まりをとる事が先決だった。
結果としては、入院をしてから大腸の浮腫が引くのを待つ時間は長くなったのでネットで色々と調べる時間はあった。 ただ、個人的に宗教に興味はなく、不確かな民間療法には懐疑的な意見を持っているし、下手をするとエビデンスのある治療法の妨げになりかねないと思っているので、公式と思えるような情報だけを見ることにしていた。 そのおかげで、あまり頭でっかちになる事はなかったと思う。
5年生存率や抗癌剤の効果率など確率ばかりが目に付く。 治療する側には、どの治療法を選ぶか、どの薬を選択するかなど意味のあるデータだが、患者個人からしたら生きれるか死ぬか、効くか効かないかのどちらかでしかない。 はっきり言ってしまえば、天気予報と同じで心構えをする為の情報にしかならない。
周りも含め心が弱くなっている時なので仕方がない部分があるかもしれないが、一つ言える事は本人よりも過剰に配偶者や親が取り乱したり、何かをしようとしたり、勧めたり、あの時ああしていれば・・・と時間を遡ろうとしたりしてはいけないという事。 患者はそれだけでパニックになるし、自らを咎めるようになる。
治療を始めて思う事はある程度先のための備えは必要だが、とりあえず目の前の目標を一つ一つこなして、その結果にたいして次の方法を考えるというのが一番いいと思う。
決定していない未来を一喜一憂して憂いても仕方がない。 観測できて初めて未来は確定され現実となる。
とにかく当時としては、確信はなかったけどなんとなくヤバイ気はしていた。 それぐらいの痛みだった。 ただ、絶対に終わらさないとまずい仕事があったことと、どう考えても癌と診断された後でモチベーションを維持して仕事が終わるまで続けることができないことはなんとなく感じていた。 多分、小さな会社で主力だから途中で離脱していたら潰れていただろう。 仕事がひと段落してからの病院での検査だった。 レントゲンで大腸を見たとき、医者の意見としては経験上ほぼ癌だろうという判断だった。 言われたときの気持ちとしては、やはりと大変なことになってしまったという事だけ。 意外と死への恐怖というのは感じなかった。
その後、大腸内視鏡カメラの検査だった。 カメラを入れるも、S字結腸がほとんど塞がりかかっていて、カメラを通すこともできず、組織をなんとか掴みとることができる程度だった。 その後に癌と診断され、まず困ったのは親になんと言おうかという事だった。
病院に行く前に実家に帰っていて、親は酷く痛みを感じてうずくまっていたのを見ていたし、元看護師であったこともあって、多分予想はしていただろう。 ただ言葉として伝えるのはそれなりに勇気がいった。 年齢的にもかなり高齢になるのでできる事なら負担はかけたくはなかった。 親より先に死ぬのも、親の老後の資金に負担をかけるのも、どちらも辛い。
ただ、家族がいるので何もせずに死を選ぶという選択肢は初めからない。 若い頃は自分が死んでもたいして世の中に影響は無いと考えがちだが、ある程度の年齢を重ねると例え若くても誰にも迷惑をかけずに死ぬことは、どんな死に方を選ぼうと不可能だということがわかる。 不可避な迷惑は別として、できる限り人に迷惑をかけない人でありたいと個人的には思っている。自分のために生きるというより、人のために生きると考える方がモチベーション的にも命の価値としても意味があると考える。 とにかく、なってしまったのは仕方がない。 後悔しても時間を戻せるわけではない。 やらなければいけないタスクができれば、それを一つずつこなしていくだけだ。
ただ、どうにもならなかったときの為の準備だけはしておかなければいけない。 ただ自分が死んだ時の為の準備というのは、今から戦おうとしている気持ちからすると反対方向の行動なので、それなりにブレーキがかかってしまう。 とりあえず、お金やパソコンやスマホの情報を引き出せなくなると困るだろうから、その辺りの確認はしてもらうようにはした。
自分の場合、大腸が完全に詰まる寸前だったので色々と入院までの待ちの時間が少なかったのがよかったかもしれない。 宙ぶらりんの状態が長ければ長いほど心へのダメージは大きくなるだろうと想像はできる。
入院して治療方針が決まれば、否応なくステップは進んでいく。 まずは大腸の詰まりをとる事が先決だった。
結果としては、入院をしてから大腸の浮腫が引くのを待つ時間は長くなったのでネットで色々と調べる時間はあった。 ただ、個人的に宗教に興味はなく、不確かな民間療法には懐疑的な意見を持っているし、下手をするとエビデンスのある治療法の妨げになりかねないと思っているので、公式と思えるような情報だけを見ることにしていた。 そのおかげで、あまり頭でっかちになる事はなかったと思う。
5年生存率や抗癌剤の効果率など確率ばかりが目に付く。 治療する側には、どの治療法を選ぶか、どの薬を選択するかなど意味のあるデータだが、患者個人からしたら生きれるか死ぬか、効くか効かないかのどちらかでしかない。 はっきり言ってしまえば、天気予報と同じで心構えをする為の情報にしかならない。
周りも含め心が弱くなっている時なので仕方がない部分があるかもしれないが、一つ言える事は本人よりも過剰に配偶者や親が取り乱したり、何かをしようとしたり、勧めたり、あの時ああしていれば・・・と時間を遡ろうとしたりしてはいけないという事。 患者はそれだけでパニックになるし、自らを咎めるようになる。
治療を始めて思う事はある程度先のための備えは必要だが、とりあえず目の前の目標を一つ一つこなして、その結果にたいして次の方法を考えるというのが一番いいと思う。
決定していない未来を一喜一憂して憂いても仕方がない。 観測できて初めて未来は確定され現実となる。
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