2019年11月29日金曜日

大腸癌 化学療法 1

化学療法(抗がん剤)と聞くと、副作用でボロボロになるとか、不安と恐怖を感じる人も多いと思う。 なので、経験者としてこういうブログなどにその症状を書くべきかどうかということを少し考えてしまう。 不安を煽ってしまい、投薬を拒否する人が出るのではないだろうかと。

経験者として、確かにかなり辛いし後遺症も残っているから、簡単に大丈夫だと言えるものでもない。 ただ、抗がん剤を利用した事で結果外科手術ができて、ステージ4で肺まで転移していても丸2年命が伸びたことは事実だし、現状一見は普通の生活をしていると言える状態にまでたどり着いているし、とりあえず癌が体内から全て取り除ける可能性も出てきている。 それを考えると、耐える価値はあるのでは?と言いたい。 生きる選択をするならば、我慢できる限りは私は我慢をする。 家族もいるので、自分の命は自分だけのものとも言えないし。

という事で、生きる選択をする人で事前に情報が欲しいという人のために、あくまでも「私の場合はこうだった」という事を書いておこうと思う。 癌以外の体調や体質、薬が同じでも濃度の違いなど人によって千差万別だろうから、どうなるかはやってみないと医者にもわからないらしい。

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私の場合は、化学療法の目的は大腸癌の転移先である肝臓と肺の腫瘍を小さくする事と数を減らす事で外科手術ができる状態にまでもっていく事だった。

始めに結果から書いておく。 幸運にも私はかなり効いた方のようで、外科手術で一度は肝臓の全て腫瘍を取り除けた(一度はというのは、その後2箇所ほど再発したから)。 肝臓に転移していた腫瘍は大小あわせて片手ではすまない数があったのだが、かなり数が減った事と小さくなった事、そして比較的取りやすい部分の物だけが残った。

ちなみに効いた方と言っても後からの説明では、5段階中3か4ぐらいという説明だったと思う。
この結果を得られたのも抗癌剤のアレルギー反応で途中でやめなくて済んだことも関係あると思う。 エルプラットという薬は基本的には12回を限度としていると説明されていた。 この分を私は12回行うことができた。 聞いたところによると、これだけの回数をできる人はあまりいないようだ。 47才で特別若いわけでもなく、高齢で体力が無いというわけではないことも良かったのかもしれないと思った。

エルプラットを含む投薬は各週で行わるので月2回で6ヶ月程度続けた。 その代償と言ってはなんだが、末梢神経に痺れが残る副作用は今でもある。 ちなみに化学療法をやめているときは、微妙だが少しづつ痺れは弱まってはいるようだ。

化学療法の効果で、外科手術ができる状態にまでもっていき、結果としては肝臓の右側4割程度を切除し、肝臓を切り取ると胆嚢を支える物がなくなるので胆嚢も取り除いた。 肝臓の機能自体には問題がなかったので、これだけの量をとることができた。後、肝臓の左側の表面近くにもあったのだが、これは表面から削り取るように取り除いた。 この手術の後、半年後のCTでは肝臓は元の大きさと同じ程度には回復もしていた。 胆嚢はというと、胆汁を貯める袋なので失くなったからと言って、それ程問題にはならない。 大量に油を取ると問題があるのかもしれないが、今までと同じものを食べているが特に違いは感じていない。

話を化学療法に戻す。

通院治療による投薬は毎週1回だ。 ただ、アービタックスだけの週とアービタックス+アイソボリン+イリノテカン+エルプラット+5-FUの週が交互にやってくる。

投薬前の血液検査で白血球の数や肝機能の数値で無理なときはお休みとなる。 私の場合は2回ぐらいは休みがあったと思う。 その場合は一週間ずれるというふうに対応する。
休みとなったときは、体的には楽になるので嬉しいような、できなくて不安なような微妙な気分になる。

初めて投薬したのは入院状態だったしすぐに具合が悪くなると言うことも無かったが、3週目に入る頃にはかなりの倦怠感を感じていた。 何故だかはわからないが、そのとき飲んでいた血圧の薬を飲むとその後ものすごく怠くなるように感じた。(血圧を測っても特別低すぎる状態でも無かったのに) なので、血圧の薬の種類を変更はしてもらった。 気のものなのかもしれないが、ややマシになったような気はした。

そして、一番驚いた副作用は顔に出る膿だった。 事前に説明はあったのだが、かなり酷く出た。 ニキビだらけというか顔中が乳児湿疹に近い感じで、ボコボコになった。 頭皮にもニキビのように大量にできた。 それがまた痒いから始末が悪い。 説明書によると、この顔に出る湿疹が多く出る方が抗癌剤としては効果が期待できるらしい。つまり、体にあっているかどかの目安となるとのことだ。

状態としては顔の皮膚自体が弱くなっているので、鼻に指を入れただけで外側の皮膚が裂け出血する。 また、その血が止まりにくかった。 あとで主治医から薬を処方され、かなり改善はされたのだが、抗癌剤の効果の目安となるため、あえて飲み薬で抑える事なく症状を見ていたようだ。 その顔はかなり酷かったようで、通院後の処方箋の店で薬剤師の顔が驚いていたのを覚えている。 まあ、いいんだけど・・・。 結果的には、普通と言えなくもない顔の荒れ程度にはなったから。





2019年11月22日金曜日

癌になっていると分かった後の気持ち

少し時系列的に戻って、癌と診断されたときの気持ちを思い出してみる。
とにかく当時としては、確信はなかったけどなんとなくヤバイ気はしていた。 それぐらいの痛みだった。 ただ、絶対に終わらさないとまずい仕事があったことと、どう考えても癌と診断された後でモチベーションを維持して仕事が終わるまで続けることができないことはなんとなく感じていた。 多分、小さな会社で主力だから途中で離脱していたら潰れていただろう。 仕事がひと段落してからの病院での検査だった。 レントゲンで大腸を見たとき、医者の意見としては経験上ほぼ癌だろうという判断だった。 言われたときの気持ちとしては、やはりと大変なことになってしまったという事だけ。 意外と死への恐怖というのは感じなかった。

その後、大腸内視鏡カメラの検査だった。 カメラを入れるも、S字結腸がほとんど塞がりかかっていて、カメラを通すこともできず、組織をなんとか掴みとることができる程度だった。 その後に癌と診断され、まず困ったのは親になんと言おうかという事だった。

病院に行く前に実家に帰っていて、親は酷く痛みを感じてうずくまっていたのを見ていたし、元看護師であったこともあって、多分予想はしていただろう。 ただ言葉として伝えるのはそれなりに勇気がいった。 年齢的にもかなり高齢になるのでできる事なら負担はかけたくはなかった。 親より先に死ぬのも、親の老後の資金に負担をかけるのも、どちらも辛い。

ただ、家族がいるので何もせずに死を選ぶという選択肢は初めからない。 若い頃は自分が死んでもたいして世の中に影響は無いと考えがちだが、ある程度の年齢を重ねると例え若くても誰にも迷惑をかけずに死ぬことは、どんな死に方を選ぼうと不可能だということがわかる。 不可避な迷惑は別として、できる限り人に迷惑をかけない人でありたいと個人的には思っている。自分のために生きるというより、人のために生きると考える方がモチベーション的にも命の価値としても意味があると考える。 とにかく、なってしまったのは仕方がない。 後悔しても時間を戻せるわけではない。 やらなければいけないタスクができれば、それを一つずつこなしていくだけだ。

ただ、どうにもならなかったときの為の準備だけはしておかなければいけない。 ただ自分が死んだ時の為の準備というのは、今から戦おうとしている気持ちからすると反対方向の行動なので、それなりにブレーキがかかってしまう。 とりあえず、お金やパソコンやスマホの情報を引き出せなくなると困るだろうから、その辺りの確認はしてもらうようにはした。

自分の場合、大腸が完全に詰まる寸前だったので色々と入院までの待ちの時間が少なかったのがよかったかもしれない。 宙ぶらりんの状態が長ければ長いほど心へのダメージは大きくなるだろうと想像はできる。

入院して治療方針が決まれば、否応なくステップは進んでいく。 まずは大腸の詰まりをとる事が先決だった。

結果としては、入院をしてから大腸の浮腫が引くのを待つ時間は長くなったのでネットで色々と調べる時間はあった。 ただ、個人的に宗教に興味はなく、不確かな民間療法には懐疑的な意見を持っているし、下手をするとエビデンスのある治療法の妨げになりかねないと思っているので、公式と思えるような情報だけを見ることにしていた。 そのおかげで、あまり頭でっかちになる事はなかったと思う。

5年生存率や抗癌剤の効果率など確率ばかりが目に付く。 治療する側には、どの治療法を選ぶか、どの薬を選択するかなど意味のあるデータだが、患者個人からしたら生きれるか死ぬか、効くか効かないかのどちらかでしかない。 はっきり言ってしまえば、天気予報と同じで心構えをする為の情報にしかならない。

周りも含め心が弱くなっている時なので仕方がない部分があるかもしれないが、一つ言える事は本人よりも過剰に配偶者や親が取り乱したり、何かをしようとしたり、勧めたり、あの時ああしていれば・・・と時間を遡ろうとしたりしてはいけないという事。 患者はそれだけでパニックになるし、自らを咎めるようになる。

治療を始めて思う事はある程度先のための備えは必要だが、とりあえず目の前の目標を一つ一つこなして、その結果にたいして次の方法を考えるというのが一番いいと思う。

決定していない未来を一喜一憂して憂いても仕方がない。 観測できて初めて未来は確定され現実となる。

2019年11月20日水曜日

初回の化学療法


初回の化学療法は入院して行う。 これは、アレルギー反応で緊急対応が必要になる可能性があるかららしい。 2回目以降は通院治療となる。 使うメインの薬はアービタックス、エルプラット、イリノテカン、アイソボリン、5-FUとなる。 分子標的薬や抗がん剤だ。 初回の入院中の点滴では薬の説明冊子を渡され薬剤師の説明を受ける。 点滴中は看護師が真横についた状態で行われた。 合計5時間ぐらいかかるものだったが、その間看護師さんは立ちっぱなしだった。 なんだか申し訳ない気がした。 治療を受けている本人はというと、点滴の初めにアレルギー反応を抑える薬を点滴され、すぐ眠くなって寝てしまう。 そのあとはウトウトして朦朧とした状態で看護師さんとお話をしていた。 点滴の最後には5-FUのタンクをネットに入れて首から下げた状態になる。 5-FUは看護師立ち会い中でも行われるのだが、持ち帰りでも行われる。 タンク内のゴムの収縮力を利用して46時間をかけて時間をかけて体内に入れることになる。

事前の説明をされていた副作用ですぐに気付いたものは手の痺れだ。 トイレに行き、水で手を洗うとビリッとした刺激を感じる。 冷たいものは触らないようにとの説明はこのことなのかと思った。

突発的な副作用がないことを確認した後、退院して家に帰ることになった。

化学療法を始めたのが1月だったので、インフルエンザにも注意しなければいけない。 白血球も少なくなるので風邪にもかかりやすくなる。

帰りにホームセンターに寄ってもらい、ペーパータオルを買った。 家族からの感染を避ける為、病院と同じように手拭きに利用することにした。 後、マスクも必要だ。

痺れ以外の副作用は後々出てくることになるのだが、体調としてはかなりの倦怠感を感じた。

後々の感想としてはエルプラットが一番堪えた。

2019年11月16日土曜日

化学療法を始める準備でポートを増設し、化学療法の選択をする

大腸の手術の入院中最後に抗がん剤を点滴するポートを右肩に作る小さな手術を行った。 位置としては、右鎖骨の下の窪んだところに直径2から3cm程度の半球状のものだ。 そこから管が表皮の下を通りながら首の根元あたりで血管に挿入されている感じ。 比較的最近のやり方なのかもしれないが、これをしておけば腕の血管がやられてボロボロにならなくて済むようだ。 部分麻酔での手術だったが、執刀医が見習い?だったのか指導医の説明や指示を聞きながら手術をされた。 少し手間取っていたのか最後の方は麻酔が弱まってやや痛みを感じたが、まあ無事に終了した。 見た目的には、慣れるまで違和感があるのと、癌の治療が休んでいるときでも自分が癌患者だと強く意識させられるのでなんとも言えない気持ちにもなるが、何かあった時に食事を取れなくなっても栄養価の高い点滴が長期でできたり、術後の点滴で腕や手の甲の針のところで腫れた時に使えたりと何かと便利ではある。 首元の大きく開いた服や、水着の時には人目が気になるのでやや制限を感じるが、まあ仕方がない。

これで術後の傷が落ち着いてから退院となった。

今度は、化学療法に備えて一度退院となった。 これから過酷な化学療法が始まるので可能な限りの体力と体重の回復に努めることにした。 (今思えば、後々の衰弱に備えてかなり余分目に体力強化と体重増をしておいた方がよかったかもしれない)

化学療法を始めるのは大腸の手術を終了してから、およそ1ヶ月後だった。

癌の切除をした後、その取り除いた腫瘍をDNA検査して有効な抗がん剤を選択すると説明を受けた。 私の場合は、詳しいことはわからないが使える抗がん剤の種類が多い方の型だったらしく、ある意味幸運だった。 後は、高血圧の傾向があるので血管に大きく負担をかけない方法を選ぶとなった。

化学療法での目標としては、CT検査の結果術後の大腸に問題はなかったので、次は肝臓の腫瘍を取り除ける状態にすること。 造影剤を使ったCTの結果を見てみると、大小交えて数を数えるのを諦めるほどの数があった。 この数を減らし、手術で取り除ける状態にすることが最大の目標となる。 化学療法のみで全て無くなることはほぼない。

幸運にも?私はお酒はほとんど飲む習慣がないので肝臓の機能自体には問題はない。 ひどい肥満はないけど、運動不足での脂肪肝がある程度だったので腫瘍を取り除けさえすれば肝臓的にはなんとかなるという感じだ。

腫瘍内科の先生に治療法の説明を受け、最終的に決断するのは患者なわけだが、勧められたのは臨床試験の治療法。 通常はA療法とB療法のどちらをするかという判断なのだが、これを2つ同時にするというもの。 私が比較的若く体力がありそうなことと、腫瘍の数からのオススメだったのだと思う。 保険適用されるものなので金銭的な負担は同じということだった。

抗がん剤の副作用がどうとか言ってられないし、体験したことがない以上心配しても意味がないので、そのオススメを受けることとした。

化学療法の場合、薬の強さを徐々に強くしていくようなことはしない。 可能でありそうなものをMAXで行い、支障が出てきたら数や種類を変えるという感じで行う。 効果があるかどうかも、統計的なものはわかっていても、個人個人違うのでやってみなければわからない。 確率なんて、数全体で見た場合の話で、個々の人にとっては1か0でしかない。

手順としては、治療を開始して2ヶ月単位で造影剤CTの検査を行って見た目での結果を確認していく。 投薬の直前には、血液検査と検尿をして投薬可能かどうかの判断をする。 月1程度?で血液の腫瘍マーカーで目安としてチェックという感じとなる。 後は副作用が耐えられなくなるかどうかとアレルギー反応がでないかどうかの判断となる。

2019年11月9日土曜日

大腸の浮腫が引くのを待ってS字結腸を切除し接合

大腸の手術の記憶を書いておく。

私の場合、S字結腸に癌があり、下降結腸の上部から中央部にかけて浮腫があった。
このまま手術をするとうまく接合できないとのことで、人工肛門になってしまうという説明だった。 仕方がないのかとも思ったが、主治医は食事を完全に止めて点滴だけで栄養を取り、大腸の浮腫が引くのを待つという選択肢を示してくれた。 左腕から中心静脈までカテーテルを入れる簡単な手術をし、そこを利用して栄養価の高い点滴をすることで食事を0にして一週間以上腸を休めることにした。 かなり長期の無摂食となる。 レントゲンやCT検査で腸の状態を確認し、これなら接合できそうだというところまで回復を待って癌の切除を行うことができるようになった。 手術は腹腔鏡手術で、お腹には4か所の穴とヘソの下のところから腸を引っ張り出す穴の5つを開けた。 実際に腸の状態を確認するまでは人工肛門になる可能性もあったので、それに備えてのマーキングをしていたが利用することなく腸の接合に成功した。 切除したのはS字結腸とその周りのリンパ節だった。 取り除かれた腸は真っ黒だった。 完全に詰まってはいなかったが、鉛筆の細さ程度しか通り道がない状態だった。

人工肛門にならなかったのは麻酔が溶けてからの説明で知った。 正直ほっとした。 
今から考えるとこのことが一番大きかったかもしれない。 傍目には普通の生活をしているようにも見えるし、行動の制限も全然違う。 今は人工肛門になっても、一時的なもので、時間が経過してから元に戻す場合もあるということではあるが大変なのは間違いので回避できるものであるのなら、その方がいい。 かかる費用も全く違ってくると思う。

この後、私の場合ステージ4ということで、肝臓に多数の腫ようと肺に小さなものが一つ転移がまだある。 これからは、化学療法をして腫ようの数と大きさを小さくしてから、肝臓と肺の順番で手術をする計画になった。